お寺や仏事など、可能な範囲で色々な疑問にお答えします。
Q&A
お寺は基本的に宗教法人ですが、その宗教法人の宗教活動による収入と、境内およびそれに付随する建物は確かに課税されません。
ただし、土地などの不動産でお寺の運営に必要と認められないものや、飛び地などは固定資産税はかかっております。お寺でも、宗教法人ではないお寺はすべて課税されます。
また印紙税などもありませんので、寺の領収書に収入印紙は添付しません。
消費税を預かることはありませんが、お守りやお札を仕入れる際消費税はかかります。法人税もありませんが、通常の利益法人のように「○○が新発売」や「今なら○○が○割引!このチャンスを云々」というような利益追求宣伝広告ができないところが、税制面で違っていると習ったことがあります。
さて、「坊主丸儲け」の坊主についてですが、僧侶はお寺から給料をいただくという概念ですので、サラリーマンと同じく当然課税されます。個人的な事業を行ってももちろん課税され、市県民税も普通どおり支払います。扶養家族の概念も一般サラリーマンとなんら変わりはありません。
ただ違うのは税務監査で、これは宗教法人と同時に代表役員の通帳の中までチェックされます。税理士を雇える余裕のあるお寺はそういませんので、だいたいは代表役員が経理をしており細かいところまでチェックが入りますので、使途不明金などがあれば即座に代表役員に課税されます。
檀家さんの御布施などを誤魔化そうものならすぐにチェックがはいり、課税という制裁と信用をなくすという制裁のダブルパンチを受けることになります。「丸儲け」というほど坊主は儲かりません。
ただし、土地などの不動産でお寺の運営に必要と認められないものや、飛び地などは固定資産税はかかっております。お寺でも、宗教法人ではないお寺はすべて課税されます。
また印紙税などもありませんので、寺の領収書に収入印紙は添付しません。
消費税を預かることはありませんが、お守りやお札を仕入れる際消費税はかかります。法人税もありませんが、通常の利益法人のように「○○が新発売」や「今なら○○が○割引!このチャンスを云々」というような利益追求宣伝広告ができないところが、税制面で違っていると習ったことがあります。
さて、「坊主丸儲け」の坊主についてですが、僧侶はお寺から給料をいただくという概念ですので、サラリーマンと同じく当然課税されます。個人的な事業を行ってももちろん課税され、市県民税も普通どおり支払います。扶養家族の概念も一般サラリーマンとなんら変わりはありません。
ただ違うのは税務監査で、これは宗教法人と同時に代表役員の通帳の中までチェックされます。税理士を雇える余裕のあるお寺はそういませんので、だいたいは代表役員が経理をしており細かいところまでチェックが入りますので、使途不明金などがあれば即座に代表役員に課税されます。
檀家さんの御布施などを誤魔化そうものならすぐにチェックがはいり、課税という制裁と信用をなくすという制裁のダブルパンチを受けることになります。「丸儲け」というほど坊主は儲かりません。
お釈迦さまの時代は今でいうお寺のことを「精舎」といって、その土地の有力な商人や豪族などが財をこらしてお釈迦さまのいわれるようにしつらえました。中には、床一面金貨を敷き詰めさせたこともありました。そういう意味からすると力のある相手には容赦が無かったということです。
話がそれましたが、お寺の本堂と各家の仏壇の関係性というと、今のような高速交通網が無い時代、お寺に参ろうにもままならなかったことから、お寺の本堂の代わりとなるものを作り自宅に安置してお参りするとしたのです。それ故、仏壇は信仰する宗派のお寺を模したものとなるわけです。そうすると肝心のお寺の本堂はというと、宗派によって違うのですが、基本的にその宗派の本尊の世界を具現させるつくりになります。
例えば、よく浄土真宗のお寺の本堂が金箔が多いといわれてますが、阿弥陀浄土を顕しているからでして、派手だとか贅沢だとかいうわけではありません。真言宗でも西側は黄色をい配しております。当山の本堂は金はあまり使っておりませんが、別に質素とかいうわけではなく、大日如来の世界観がそうであるからです。
つまり質素という言葉は煩悩世界の衆生に課せられた戒めであり、仏の世界観を顕すことに対して使うべき言葉ではないということです。
話がそれましたが、お寺の本堂と各家の仏壇の関係性というと、今のような高速交通網が無い時代、お寺に参ろうにもままならなかったことから、お寺の本堂の代わりとなるものを作り自宅に安置してお参りするとしたのです。それ故、仏壇は信仰する宗派のお寺を模したものとなるわけです。そうすると肝心のお寺の本堂はというと、宗派によって違うのですが、基本的にその宗派の本尊の世界を具現させるつくりになります。
例えば、よく浄土真宗のお寺の本堂が金箔が多いといわれてますが、阿弥陀浄土を顕しているからでして、派手だとか贅沢だとかいうわけではありません。真言宗でも西側は黄色をい配しております。当山の本堂は金はあまり使っておりませんが、別に質素とかいうわけではなく、大日如来の世界観がそうであるからです。
つまり質素という言葉は煩悩世界の衆生に課せられた戒めであり、仏の世界観を顕すことに対して使うべき言葉ではないということです。
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