前仏
当山の本尊である正観世音菩薩は秘仏ですので、その前仏として安置されている観世音菩薩像です。
勤行・御祈祷・法要の際にのみ開かれる内々陣に安置されておりますので、普段は拝顔できません。秘仏本尊の姿の代役を勤めてくださっております。
勤行・御祈祷・法要の際にのみ開かれる内々陣に安置されておりますので、普段は拝顔できません。秘仏本尊の姿の代役を勤めてくださっております。
地蔵菩薩
当山の開基仏ともいわれている地蔵菩薩です。
役の行者の御作といわれております。背丈が215cmとかなり大きい仏像です。
宇部市の文化財に指定されております。
役の行者の御作といわれております。背丈が215cmとかなり大きい仏像です。
宇部市の文化財に指定されております。
四天王
行基菩薩の作です。
一刀三禮という一度鑿を下ろす毎に三度禮拝するという、仏像彫刻では最も厳粛な儀式で行われました。
仏閣の四方を守護し四方天下を巡り視察し、国王臣民の心念、行為の善悪を伺察するという願いを持っています。また、増益延命除病等を祈願します。
仏閣の四方を守護し四方天下を巡り視察し、国王臣民の心念、行為の善悪を伺察するという願いを持っています。また、増益延命除病等を祈願します。
不動明王
恵信僧都の作と伝わっている不動明王像です。
当山では護摩の本尊として護摩壇の前に安置されております。
伝によると970年頃の作だそうですが、細かい部分もしっかりしており、千年以上前の仏像とは思えないほどの状態を保っておられます。
当山では護摩の本尊として護摩壇の前に安置されております。
伝によると970年頃の作だそうですが、細かい部分もしっかりしており、千年以上前の仏像とは思えないほどの状態を保っておられます。
火伏不動
当山の別院として阿知須道場がありましたが、平成18年に火災により消失してしまいました。
幸いなことに、その火災によって人や近隣に被害をもたらすことはありませんでした。
(この火災によって多大なるご心配やご迷惑をかけたことは否めません。)
その焼けた跡に残っていたのが、この不動明王です。火難にあっても堪えたことから、火伏不動と名づけて、被災から10年後、やっと本堂に安置するはこびとなりました。
火伏不動という言葉は本来ありませんが、火難から逃れたということでつけさせていただいた名前です。
幸いなことに、その火災によって人や近隣に被害をもたらすことはありませんでした。
(この火災によって多大なるご心配やご迷惑をかけたことは否めません。)
その焼けた跡に残っていたのが、この不動明王です。火難にあっても堪えたことから、火伏不動と名づけて、被災から10年後、やっと本堂に安置するはこびとなりました。
火伏不動という言葉は本来ありませんが、火難から逃れたということでつけさせていただいた名前です。
弘法大師座像
大正8年に当山の第五世嶋田隆範和尚が持来仏(じらいぶつ)として安置したものです。
作者や年代はわかっておらず、相当に痛んでいる部分が多いのですが、私(住職)が知る範囲において、20年以上新たに壊れることもなく、お顔のツヤもくすむことがありません。
お大師さまのお力がいただけるのではないでしょうか。
作者や年代はわかっておらず、相当に痛んでいる部分が多いのですが、私(住職)が知る範囲において、20年以上新たに壊れることもなく、お顔のツヤもくすむことがありません。
お大師さまのお力がいただけるのではないでしょうか。
賓頭盧尊者(なでぼとけ)
賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)はお釈迦さまのお弟子のひとりです。
神通力に長けた方ですが、その力を使いすぎてお釈迦さまより叱責され、涅槃に入らず衆生を救済し続けることとなりました。
俗に「なでぼとけ」といわれ、古来より体の悪いところと、賓頭盧さまの同じところを交互に撫でると、よくなるといわれております。
神通力に長けた方ですが、その力を使いすぎてお釈迦さまより叱責され、涅槃に入らず衆生を救済し続けることとなりました。
俗に「なでぼとけ」といわれ、古来より体の悪いところと、賓頭盧さまの同じところを交互に撫でると、よくなるといわれております。
中興法厳和尚像
当山は江戸末期の神仏分離による廃寺令を受け、住職不在の状態に陥りました。
この神仏分離は廃仏毀釈という言葉を伴って、江戸末期から明治初期に大いに盛んになるのですが、明治2年、当山の住職となり、地域の方々と協力して廃仏の気運の中、寺門再興し廃仏毀釈収束後の明治10年まで寺を守ってこられたのが復興第一世中興岩尾法厳和尚でした。
明治29年の作らしいのですが、作者はわかっておりません。
※中興:途絶えていたものを復興させること
この神仏分離は廃仏毀釈という言葉を伴って、江戸末期から明治初期に大いに盛んになるのですが、明治2年、当山の住職となり、地域の方々と協力して廃仏の気運の中、寺門再興し廃仏毀釈収束後の明治10年まで寺を守ってこられたのが復興第一世中興岩尾法厳和尚でした。
明治29年の作らしいのですが、作者はわかっておりません。
※中興:途絶えていたものを復興させること
瀧不動
当山の石段の途中にお瀧場があるのですが、そちらに安置されているのが、この不動明王です。
平成12年に安置されました。
このお瀧場自体は、平成12年よりもっと前にあったのですが、私(住職)が聞くところによると、相当前に諸事情で水源を失い水が途絶えているとのことです。
このお瀧場自体は、平成12年よりもっと前にあったのですが、私(住職)が聞くところによると、相当前に諸事情で水源を失い水が途絶えているとのことです。